学びの学校

全国駆込み寺協会の代表ブログ

自己紹介

はじめまして。清水メイコと申します。

全国駆け込み寺協会 代表をさせて頂いている者です。

下記の写真が私です 苦笑

生意気な顔写真ですみません、加工してます。

そんな私の話をしていこうと思います。

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~ 簡単なプロフィールから ~

清水 メイコ

1988年生まれ、生粋の辰年

7つ年の離れた可愛い妹がいます(溺愛)

とある田舎で生まれ、都会に憧れ、高校と卒業と同時に上京。

18歳で就職、複数回転職も経験。

就職中に2017年12月に広告業にて起業。

現在に至る

 

私は小さい頃から、何故か身体が弱く

生まれた時から視覚障害を持ってます。

それが原因なのか、中学生から自律神経が乱れ始め、抑うつ状態に。

更に現在は悪化し、重度の自律神経失調症です。薬が無くてはまともに生活できませんが、寛解しております。そんな流れで大変恐縮ですが

少し、私の生い立ちを話そうと思います。

 

私は幼少の頃、保育園から中学校まで、本気で虐められてました。

詳しく書けないですが、とある地域で生まれ、その地域で差別による血筋でのいじめです。(御察しくださいませ)

地獄でした。ものは無くされるわ、黒板に名指しで悪口書かれるわ、ドロップキックは喰らうわ、ガキのようないじめが中学校が終わるまで続きました。

親に言ったら、それはあなたが弱いからじゃない?と言われ、悲しくなった思いもあります。

一応、担任の先生は常に味方でいてくれましたが、やはり子供は言うことを簡単に聞けるものではなく、時に泣きながら帰ったこともありました。

 

私の親は、幼少の頃、気づいた時には母親は離婚していて、母親の元にいました。

そして小学校に上がる前に母親は別の父親と再婚し、妹が生まれます。しかし、再婚した父は大酒飲みでDVが酷く、気分が悪かったり、癇癪を起こすと母親や私や妹に当たり散らしでした。

もちろん暴力や怪我もありました。

ものを投げつけられて血も出ました。

何度も、何故この義父親と離婚しないのか母に言いましたが、答えませんでした。

恐らく、母親も辛くて寂しかったのかもしれません。

 

中学校に上がり、義父が家出しました。

1年帰ってきませんでした。もう訳が分からなくなりました。

もともと貧乏だったのに、更に貧困に…そんな定か、母親は内職をしたり、大変そうでした。私も手伝っていました。

しばらくして義父が帰って来て、当たり前のようにまたDV生活に戻ります。

家に居ても、学校にいても苦痛でしかない。限界になり家出しました。しかし、母親に見つかり、またお家に戻される…もう嫌でした。

 

中学を卒業の頃に、耐えられなくなり、母親に実父の所に行きたいとカミングアウトしました。

母親も納得してくれました。

妹を残すのは申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、直ぐにでも義父から離れたかった一心でした。

 

高校に入り、安定した生活を送っていました。しかし、中学の後半頃から、何故か体調不良がずっと続いており、それが高校3年生に上がった瞬間思い切り出てきて、学校内で倒れました。

最初はただの貧血ではないか?と思い、気を付けてましたが、だんだん身体が悲鳴をあげるくらい辛くなり、偏頭痛も止まらず、学校を休みがちになりました。

病院に行った結果、自律神経失調症でした。

原因はストレスとの事でした。真っ先にストレスの原因など、もうわかり切った話ではありますが…体調が一行的に良くならず、希望大学の受験を諦め、治療に専念しました。

暫くし、高校卒業前に、新たな土地を求め、上京したいと、父に思いを告げました。

もちろん最初は反対されましたが、最後は応援してくれるようになり、18歳で晴れて東京デビュー&会社員生活となります。

 

就職を経験し、転職先で100時超えの残業により、頚椎症を起こす。

それが原因により、自律神経失調症の重症化により、休職。復職後にそれを期に、身に付けたスキルを活かせるように、同時起業。いつ会社をクビになっても食べて行けるようにと始めました。

 

現在はウェブを中心としたコンサルや広告業を営みつつも、実際に自分が実際に苦労した経験を活かして、本当に困っている方への支援をさせて頂きたく、新しい事業を始めました。

この事業に置いては、あくまでも自立を支援する団体であり、お金目的としておりません。

 

精神疾患や身体的な障害にあたる方々は、中には仕事が厳しく、難しい方もいらっしゃいます。そのような方々に、ライフラインとしてのウェブコミュニティーの提供と、働くことが可能な方には、社会復帰をするための支援をおこなっております。

ですので、団体の利用料に関してはいただいておりませんので、お気軽にお声がけ頂けたら幸いでございます。

 

私自身、頼れる身内もそんなに居ないまま上京してしまったのと、やはり、孤独は辛く、ネットへの依存が一時期ございました。

その依存のおかげで、生きながらえてきた感謝と同時に、依存では先に進めないということに気付き、せっかくならネットがきっかけでも、皆がが変われる環境を提供したいと心より思ったのです。

人様のお役立てをさせて頂くことが、わたくしの使命だと心に刻んでおります。

 

どうぞ、こんな私ですが、よろしくお願い申し上げます。

 

2018年12月31日